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高松高等裁判所 昭和58年(う)182号 判決

被告人 松井市五郎

昭二八・四・三生 会社員

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は弁護人宮崎忠義作成名義の控訴趣意書(補充意見書を含む)に記載のとおりであり、これに対する答弁は検察官松田達生作成名義の答弁書に記載のとおりであるから、ここにこれらを引用する。

所論は要するに、原判決の認定によれば、石井武は曽根正夫との間で、同人から原判示の畑(以下「本件土地」という)を買い受ける旨の契約を締結したが、これにつき農地法所定の所有権移転の許可を受けることができなかつたため、農業を営んでいた被告人の亡父松井幸雄の名義で右許可を受け、所有権移転登記を経由していたというものであるところ、このような農地買受行為は農地法にもとり、また公序良俗に反するものとして、民法九〇条により無効であるというべく、石井が右許可を受けていない以上、同人においてその所有権を取得するに由ないものであるから、本件土地はそもそも石井から松井幸雄への委託の目的物たりえず、従つて両者間に委託信任関係があつたということもできないので、松井幸雄の相続人である被告人が本件土地を担保に供し、原判示のような抵当権設定等の登記を経由しても、横領罪を構成しない筋合であるのに、これらの点を十分に解明することなく同罪の成立を認めた原判決には、理由の不備と、法令の解釈適用を誤つた違法がある、というのである。

そこで検討するのに、刑法二五二条一項の横領罪が成立するためには、物の所有者と行為者との間に委託信任関係が存在し、これに基づき行為者が物を占有していたことを要するが、同罪が保護する法益にかんがみると、右の所有者には、法律上完全に所有権を有している者だけでなく、これに準ずる者も含まれると解するのが相当であるところ、農地の譲渡による所有権移転は、農地法三条または五条の許可という法定条件にかかるものではあるが、法定条件についても条件付き権利の処分等に関する民法一二九条の規定が類推適用されるものと解されるので、不動産登記法二条の規定により条件付き所有権移転の仮登記をして権利を保全することも可能であり、また譲渡契約の目的である農地が契約後に非農地化した場合には、農地法の規制目的に照らし、原則として、右の許可を経ることなしに譲渡契約が完全に効力を生じ、その農地の所有権が譲受人に移転する関係にあるとみられるから、農地を譲り受ける契約をした者は、右の許可を受けていなくても、その農地につき所有権を有する者に準ずる立場にあるということができる。

これを本件についてみるに、原判決挙示の証拠によれば、石井武は曽根正夫から本件土地を買い受ける契約を締結し、同人にその土地代金を支払つていることも明らかであるから、法定の許可を得ていなかつたにしても、右説示に徴し、本件土地につき所有権を有している者に準ずる者と認められるうえ、右の証拠によれば、石井は将来宅地として使用する目的で右のとおり契約を締結したものの、農地法の規制の関係で、当面自己への所有権移転登記を受けることができなかつたため、農地取得の適格者である親類筋の松井幸雄に対し、本件土地につき同人名義で許可を受けて所有権移転登記を経由しておき、将来自己においてその所有権が取得できるようになつたときには、自己への所有権移転登記手続をしてほしいとの趣旨の依頼をし、同人もこれを承諾した結果、同人名義の所有権移転登記がなされたものであり(なお、この登記と同日付をもつて、松井から石井への売買予約による所有権移転請求権仮登記がなされているが、それは両者間の右のような約束事を登記面にも現わしておきたいとの意図に出でたものであり、弁護人が補充意見書中で追加して主張したように、松井が石井の出捐を得て本件土地を曽根から買い受け、その所有者になつた後、将来石井が松井から右所有権を譲り受けて取得するとの約定に出でたものとみることはできない)、更に松井の相続人である被告人は、右の依頼承諾の経過事実を知悉しながら、相続を原因とする自己名義の所有権移転登記を経由したことが明らかであるから、本件土地の所有者に準ずる者である石井と被告人との間には委託信任関係が存在し、かつ、これに基づき被告人が本件土地を占有していたものとみざるをえず、従つて被告人が本件土地につき石井に無断で原判示のような抵当権設定等の処分行為をしたことは、横領罪を構成するというべきである。

なお、本件土地につき松井幸雄の名義で許可を受けて登記が経由されたことは、実体を欠き、農地法との関係において脱法的であることはたしかに否定しがたいけれども、現実に被告人名義の登記が存在する以上、被告人は石井が本件土地の所有権を取得できるようになつた際には、同人に対して、実体と登記との不一致を除去し真正な登記名義を回復するため、本件土地につき所有権移転登記手続をなすべき義務を負うものであるから、両者間の委託信任関係は否定しがたく、また仮にその委託信任関係が違法であるとしても、それが事実上存在していたことは前記の認定に徴し明らかであるから、本件土地の所有者でもない被告人が、その所有者に準ずる者と認められる石井に無断で原判示のような処分行為をなしたことは、やはり横領罪に該当するものというべきである。

以上によれば、横領罪の成立を認めた原判決は正当であるから、論旨は理由がない。

よつて、刑訴法三九六条により、主文のとおり判決する。

(裁判官 藤野博雄 田村承三 田尾健二郎)

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